北海道大学の理不尽について考えてみた
理不尽と言われるとひとえにいろいろなことが思い浮かぶ。
家庭、学校、職場といった日常生活での理不尽や台風、大地震といった自然災害に対する理不尽などなど。
世の中はなぜこんなにも理不尽なのだろうかと考えたことが誰しもあるはずだ。
私は現在大学1年であるのだが日々理不尽というもの体感しながら生きている。
私の通っている大学の理不尽について話していきたいと思う。
私は北海道大学に通っている。この北海道大学には少し変わった教育制度がある。
それは総合理系・文系制度である。
簡単に説明すると学部、学科を決めずに総合入試という方式で入学した学生は1年の間は大学が定めた総合教育を受け、2年進学時に希望学部を決定するというものである。
この制度自体は高校時代に希望の学部学科が決められなかった学生にあと1年考える猶予を与えるもので非常に独自性のある制度だと思う。*1
まさに私がそのような学生であり現在希望の学部学科を熟考中なのである。
ここまではなんら問題がないように見える。
しかしその実情はちょっと違う。
2年進学時に希望学部学科を選択するといったがその選考方法に少々厄介がつきまとう。基本的に1年次の成績が良い者から希望が通る仕組みとなっている。当然学部学科に定員というものが存在するので、希望通りにいかない学生も出てくる。それならば頑張って良い成績を取るために努力すればいいだけの話じゃないかで済むのだが、この成績を取る過程で今回の主題である理不尽が発生するのである。
大学生を経験したことがある人なら一度は聞いたことがあるだろう"楽単"という言葉。そう授業を受けた先生によって成績が取りやすかったり取りにくかったりするのだ。もちろん基本的には自分で選んで履修するのが大学の授業であるため成績の取りやすい先生の授業を取ればいい。しかしながら必修科目が1年の間は多く、学生番号やクラスによってあらかじめ先生が決められている。こちらに選択権はないのである。
はっきり言ってこんなことたまったもんじゃない、理不尽だ
と言いたくなる。完全公正な制度とは言えないじゃないかとつい思ってしまう。
私も普通の大学生なのでこのような思考に陥りがちである。
だが私が本当に言いたいことはここからである。
周りの友達に聞く限りではどのクラスにもある一定数優秀な成績を収めた学生がいるということである。このことが表すひとつの事実は、たとえ成績の取りにくい先生に当たったとしてもその理不尽を乗り越えている人がいるということである。このような理不尽などもろともせず自分の理想に向かって努力し続けられる人がいるのだ。
はっきりいって理不尽を言い訳にするのはダサい。
以前の私はまさにそうだった。
だが徐々に考え方が変わっていった。成績の取りやすさが先生によって変わることを入学以前から知っていたわけではない。しかしながら、この大学、制度を選んで入学したのは誰でもなく私自身なのであるということだ。
だから理不尽を言い訳にしないと誓った。周りだって同じ条件なのである。
そして最近は自分自身にこう言い聞かせている。
こういう理不尽は乗り越えねばならない。この先社会では桁の違う理不尽が待っているのだ。そして今はその予行演習なのだと。