コガタクdairy【競技かるた】【北海道】【大学生ブロガー】

競技かるたのことを中心に北海道のことや日々の出来事、面白かった本の紹介などを雑記するブログ

ブログ初心者必見‼最初にするべきことはこれだった‼【イケダハヤト】【YouTube】 

久々の更新となりました。

 

今日紹介したいのはブログを今から始めたいという人が何から手を付ければいいのかということである。

 

私自身まだ記事を10程度しか書いていないひよこブロガーであり、なにか参考になるものはないかと、YouTubeをあさっていたところ、

 

1つの動画が目に留まった。

 

youtu.be

 

これは超有名トップブロガーであるイケダハヤトさんが出した。動画である。

 

ブログをこれから始めたいと思って、ブログについて調べたら間違いなく彼の名前は知ることになるだろう。

 

それくらいブログ界では有名な方である。

 

少し彼について紹介しておく。

 

www.ikedahayato.com

 

ブログネタは様々で資産運用の話やブログ運営の仕方について書かれている。

 

彼はブログを利用して年商1億を稼いでいると、彼の動画で公開されていた。

 

結局ブログ初心者が最初にするべきことはこういったすでに実績を上げている人たちから学んでいくことに尽きる。

 

私自身、まだ全部は目を通せていないがイケハヤさんの動画を見て凄く刺激をもらっている。

 

ブログ界の神とも呼ばれるイケハヤさんがYouTubeでブログ運営の術を公開しているなんて、

 

全ブログ初心者は見るしかない!!

 

私自身が初心者なのでめちゃくちゃ参考になることが多い。

 

無料でトップブロガーのノウハウを知れる。

こんなお得なことはない。

 

初心者ブロガーは今すぐにでもYouTubeにいって片っ端から動画をあさるべきだ。

 

私も含めて。はい、。

 

 

もしよければ下のボタンたちをクリックしてもらえると嬉しいです。。

 

 

クリぼっちの男の過ごし方なんて一つしかねえ!!!クリスマスケーキを作るバイトに決まってんだろうが!!!!

はい、どうも、コガタクです。

 

例年のように今年もクリぼっちです(誰も聞いてないw)

 

四方八方から大学生にもなって恋人おらんのか、雑魚っていう声が聞こえてきますね(余計なお世話)

 

巷のイケイケな大学生諸君からは、「え、クリスマスに恋人と過ごす以外ありえないwwww」とか言われそう

 

 

うっせーよ!!!!!!!!

事実は事実なんだからしょうがねえだろ!!!!!

 

と声を大にして言いたい。

 

え?じゃあ逆に何すんの?って聞かれそう…

 

そんなの決まっているじゃないか。

 

クリスマスバイトだ!!!!!

 

本当はドラマのワンシーンにあるような(ない)街中でサンタさんの格好してファミリーにクリスマスケーキを販売するバイトがしたかった。

大事なのでもう一度言わせてもらう。

ファミリーに だ、勘違いしないでほしい。

リア充カップルに売るわけではない。(そもそも買わない)

リア充カップルなんてどうせ目の前通って、クリスマスにバイトしてるのかわいそうw絶対恋人いないやつやんwぷぷっwて吐き捨てていくのが目に見えている。

は?誰が恋人はサンタクロースやて??(激スベり)

 

まあそれは置いといて、私がこのバイトをしたかったのは純粋に大学生のうちにしかできなそうだなーと思ったからである。

 

あいにくいい案件がなかったため断念。

 

そこで友達に誘われたのが今日から三日間夜クリスマスケーキを作るバイトだ。

ははーん、真正のクリぼっちは回避じゃー、見たかリア充ども(むなしい)

 

ということで、はい、やはり、ファミリーのために、めちゃくちゃ重要だからもう一度言う

ファミリーのために

 

今日の夜から三日間クリスマスケーキを作ってこようと思う。

あくまでファミリーのためだから手は抜かない。(笑)

 

バイトがどうだったかとかは勤務内容には触れない程度で後日語ろうと思う。

 

ここまで、いろいろ激しく言ってきたが、実はクリスマス自体はそんなに嫌いではない。

というかむしろ好きである。街中がきれいにライトアップされ、クリスマスソングが流れてくるあのなんとも言えない雰囲気が好きなのだ。そこにはリア充うらやましいとかリア充クソとかいう感情を超えて好きなのだ。

 

なんとも言葉に表せない幸福感が全身を支配するのだ。

リア充さえも包括するような、圧倒的存在感があるのだ。

まあ、ライトアップに群がるリア充どもを事実包括しているんだが笑(上手くない)

 

クリスマスって、とにかくなんかいい。それで十分である。

 

 

あ、言い忘れていたが24の夜もサークルのクリぼっち同士で集まることが決まったのでわっしょいである。(結論リア充うらやまw)

小学生時代をともにしたポケモンダイパを懐かしむ~リメイクされたら買うしかない~

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皆さん、このパッケージを覚えているだろうか。

これをみた瞬間に心が熱くなった人がいたらコメントしてほしい!!

仲良くなれそうだ!!!

 

2006年9月28日(木)発売のポケットモンスターダイヤモンド・パールである。

 

私はこのゲームを確かその年のクリスマスにサンタさんからもらった。

サンタさんという響きがすでに懐かしい笑

 

正直なぜほしいと思ったのかまでは覚えていない。

 

が、クリスマスの朝、目が覚めて、枕元にあったこのゲームを手にして非常に興奮したことは今でも鮮明に残っている。

 

とにかく、私はポケモンの話となると途端に熱くなってしまう!!!!

 

それくらい、小学生時代はポケモンに時間を費やしたものだ!!

 

小学生のとき、私は友達が特別多くもなく、かといって少ないわけでもなかった。

だから人並みに遊びには誘われたし、実際楽しんで遊んだ記憶はある。

 

ただ、私が一つ問題だったのはあまりアウトドアを好まなかったのだ。

だから、別に特段用事のない休日などでも、行けたら行くとかいって結局行かず、誘いを断ったことが多々あった。今となっては非常に後悔しているし、当時の友達には申し訳ないと思っている。

 

じゃあ、インドアがめちゃくちゃ好きだったかと言われれば、そういうわけでもなかった。ただそれ以上にアウトドアを好まなかっただけである。

 

だから、家にいても特段することもなく暇をしていた。

 

そこで登場したのがポケモンだった。もちろんもらったのは冬休みだったため、そもそも友達と会うこともあまりなかったので、とにかく熱中した。

 

冬休み明け、学校が始まり、友達とも会う。

 

当然のように(当時の友達には本当に申し訳ないことをした)、アウトドアを嫌がり、家に引きこもった。

 

以前ならすることもなかったのだが、今はポケモンがあった。

ただひたすらストーリーを進めることに熱中した。

 

だが、その当時は全然ポケモンに対する知識がなかったので、なかなかうまくいかないことが多かった。

 

結局初めてストーリーのチャンピオンを倒したのは一つ上のポケモンが強かったお兄ちゃんにポケモンを借りてなんとかクリアしたのだった。(そこまで熱中したのなら自力でなんとかしろよ!笑)

 

それから私はひたすらポケモンに熱中した。

チャンピオンを自力で倒せるくらいに成長した。

お母さんに買ってもらった500ページぐらいの分厚い攻略本は穴があくほど隅から隅まで読んだ。

 

結局、チャンピオンは80回くらい倒したと思う。

 

ガチのゲーマーと比べると全然だが、私の中では圧倒的に多いプレイ時間600時間を超えるくらいだったように思う。

 

だが、身体と心が成長するにつれて徐々にポケモンとは一線を引くようになった。

(実際にはもう一回ブームがきたのだが笑)

 

大学生になった今、改めて思う。

ポケモンに熱中していた時代が懐かしいな、と。

何かこみあげてくるものがあるのだ。

小学生をずっと共に過ごした、ポケモンは私の小学校時代の青春そのものである。

 

 

帰省した際になによりもやりこんだポケットモンスターパールを起動してみようと思う。

 

きっとなんともいえない懐かしい気持ちになるのだろう。。。

 

リメイクされるのが待ち遠しい。。。

 

 

人間なんて所詮承認欲求の塊であり、常の悩みは対人関係からくるものでしかない。

「人間のすべての悩みは対人関係に起因する」

 

こう語ったのは有名な心理学者である、アルフレッド・アドラーである。

 

これを知ったときなるほど確かにその通りだという印象を持った。

 

そしてその原因となるのが、人間の本能とも言っていいだろう、承認欲求なのである。

 

考えてほしい。

聞き上手という言葉があるが、この言葉はなぜ生まれたのか。

本来、人は話すことの方が聞くことよりも好きであり、だからこそどちらかというと好きな人が少ない聞くことに対しこの言葉が生まれたのだと思う。(もちろん話し上手という言葉もあるのだが)

もし、みんなが聞くことの方が得意なら、逆に話し上手という言葉の方が定着していたであろう。

 

人間は本来話すことの方が好きということはこの本に書かれていた。

 参考になったのでぜひ読んでみてほしい。

プロカウンセラーの聞く技術

プロカウンセラーの聞く技術

 

 

 

では、なぜ人は話す方が好きなのか。

そこで出てくるのが、承認欲求である。

そう。誰かに認めてもらいたいのである。自分の自慢や経験をすごいね!って言ってもらいたいのである。心が満たされるのである。

 

こんな経験をしたことはないだろうか。

勢いよく自分の話をしたが周りの反応が思いの外悪く、何か満たされない悲しい気持ちになったことがある人は多いのではないだろうか。

 

誰しもがそういう欲求を抱えているのである。

 

ここで大事なのが承認欲求は対”人”において発生するものである。

なぜなら承認という相互作用は人同士でしか成り立たないものであるからだ。

 

ペットは癒しになるし、心に安らぎを与えてくれる。だがそれは承認といったものではなくペットからの一方的なものである。もちろん愛情をもって育てているからそれに応えてくれるという部分もあるかもしれないが、ペット自身は飼い主に何かを認めてもらいたくてそういった行為に及んでいると言い切るには厳しいものがある。

 

物だったら当然心なんてものあるわけないし、承認欲求なんてあるはずもない。

 

結局すべては人間同士で起こるものなのだ。

 

そして、承認欲求が満たされたいがために他人に取った行動が、時として摩擦を生んでしまうことがある。

 

これが人間の持つ悩みなのである。

 

ここまでいろいろ語ってきたがすべてこの本を参考にし自分なりの解釈を加えて書いた

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

人間関係に悩みを抱えている人はぜひ読んでみてほしい。

そうでなくても、アドラー心理学を学ぶにはもってこいの本であり、新たな考え方を知ることができるいい機会になると思う。

 

では、対人関係の悩みをなくすにはどうすればいいのか。

ここからは私の持論である。

 

結論から言うとそういったことが頻繁に起こるような相手とは縁を切ったり距離をおいて余計にかかわらないようにするのが最善だと思う。

 

でも、同じ部活、サークルだし、または同じクラスだしという障害があるかもしれない。

 

だがはっきり言ってそんなことはどうでもいい。悩みの種になっている以上、それを取り除くにはそうするしかない。

 

小学生くらいであれば、お互いに思っていることをはっきりいってわだかまりを解くことができたかもしれない。

 

だが、それ以上になると、これは完全に私の主観だがねちっこい嫌味っぽいトラブルが多いイメージである。そして中高生は大人になる段階で、それ以上になるともうはっきりいって大人だ。

 

悩みの種になる相手とはうまく避けながら、日々を送るのが賢明であり、そういったことができるようになるのも思春期後半あたりからなのではないかと思う。

 

もし、それでもどうにもならない場合は信頼できる人に聞いてもらって少しでも気持ちをスッキリさせるというように自分で手段を考えることが大切だと思う。

 

片付けが苦手な私が「人生がときめく片づけの魔法」を読んで片づけられない原因が丸裸になった話

これは一昨日の話だ。

大学の授業が終わり、帰宅してから特にすることがなかったので、何を思い立ったか片付けを始めた。

 

ここで過去の私の片付けられない癖について話させていただく。

 

私は片付けが大の苦手だった。

私は親から怒られた記憶はあまりないのだが、片付けについてはよく言われたもんだ。

なぜか片付けができない、原因がわかっていなかったのだ。

 

そこでこの本を読んだ。(読んだのは片付けする2か月前ほどなのだが笑)

 

人生がときめく片づけの魔法

人生がときめく片づけの魔法

 

 

非常にわかりやすく書かれた良書であった。

片付けの技術的なことはもちろん、精神的なことについても書かれていた。

 

私はこの本について印象に深く残っていることが2つある。

 

  1. あらかじめ、物の収納場所は決めておくこと
  2. 一度使ったら必ず元の場所に戻すこと

これだけで劇的に変わった。

 

そう私は一時的に部屋をきれいにすることができても、それを継続することができなかったのである。

 

高校の定期テスト前夜、試験勉強が一段落ついていないのにも関わらず、片付けを始めてしまった経験がある人は多いのではないだろうか。私もその一人である。

そういうときに限ってなぜか片付けがはかどってしまう笑

 

とにかく、私は一時的に部屋をきれいにすること自体はそれほど苦手でなかった。

実際片付け始めたら止まらないし、部屋がみるみるスッキリしていく様は非常に気持ちのいいものだ。

 

しかし、私の問題はそのあとにあった。

 

片付けてもすぐに散らかしてしまうのだ。

もちろんこのままきれいな状態を維持したいとは思っているのだ。

だが気がつけば使わなくなったプリントや参考書をそこらへんに放置してしまう癖があり、あっというまに汚部屋と化していた。

 

この根本的原因こそが、ものの収納場所を固定していなかったことと、使ったものを元の場所にしまうことができていなかったことなのだ。

 

原因がわかれば話は早い。

普段から先の二点を意識すればいいだけの話である。

 

なかにはそれができないから困っているんだよとクレームを入れてくる人がいるのかもしれない。

 

そういう人は何か一つでいいから片付けに関して習慣化することが必要だと思う。

 

この本の著者、近藤麻理恵さんが推奨していたのは帰宅したらまず、カバンの中身をすべて出して一つ一つをあらかじめ定めておいた場所に収納するということだ。

その時に重要なことは「今日も一日ありがとう」という気持ちをこめて収納することである。この本に書かれていたことの神髄といってもよいのではないだろうか。

 

こういう風に何か一つ自分の中でルールを決めて、習慣にしていくことでそれが自信につながり、もっときれいにしようだとか、他にもルールを決めて片付ける工夫をする、いや一回片付けてしまったらもう二度と片付ける必要がないようにする工夫をしていこうという好循環になる。

 

部屋が散らかる原因は多種多様である。

 

自分の性格を考慮して、自分自身が片付けられない原因がわかりさえすれば、片付けマスターはすぐそこにあると思う。

 

原因究明が何よりも大切

 

というのが私の個人的見解である。

 

原因究明の手段として、ぜひ「人生がときめく片づけの魔法」を読んでほしい!

 

片付けられない方の参考になっていれば幸いである。

 

 

 

競技かるた(3)~2017年2月26日第29回全国競技かるた東大阪大会~

これは前回の話、競技かるた(2)の続き、わずか一週間後に行われた東大阪大会の話である。

 

caru-kira62811.hatenablog.com

 

前回の話で、私はC級に昇段したのだが、その翌週に、本来登録していたⅮ級ではなく、無理をいって昇段手続きをしてもらい、C級として大会に出させてもらった。

 

当然初めてのC級での大会だったので、ⅮとCではどれくらい強さが違うのだろうかという不安を抱えながら試合に臨んだ。

だが、あくまで試合中は何も考えないように、ただなんとなく読まれた札を取ろうという気持ちを装って、前回の大会と同様、無心を心がけた。

一回戦、試合が始まった。

やはりC級だけあって、強い感じがした。しかしながら、心のどこかで、めちゃくちゃ実力差があるわけではないから、ついていったら何とかなるのではないかという気持ちがあった。

その結果一回戦、さらに二回戦、と辛勝し三回戦は運命戦で勝った。

 

さて、四回戦、Ⅾ級のときと同様、これに勝てばB級に上がれる昇段戦であった。

C級に昇段してわずか一週間でここまでこれていいものなのかと、とんとん拍子に行きすぎじゃないかと、次の相手は比べ物にならないほど強いんだろうな、と自問自答しながら、試合で臨んだのを覚えている。

 

さあ試合が始まった。

ところが、おかしい。

序盤から私がリードする展開。このままの差があったら勝ちきれるんじゃないかというぐらいかなりの枚数差だった。

しかし、私はこのとき同時に、いやこんな甘くはない、昇段してわずか一週間で上がれるほど簡単じゃないと自分に言い聞かせながら、どこかで自分に期待しながら、試合を進めていった。

 

するとその邪念が良くなかったのか、じわじわ相手に差を詰められてきたのだ。

気が付けば差がない。

あれ、相手はラスト1枚なのにこっちは5枚、

試合は終わった。

5枚差で負けた。

 

試合途中から私は悟っていた。

こんなに甘くないと。

そして試合後もやはり甘くないなという感情は残ったままだった。

何か納得するような、でも、勝ち目があっただけにもったいないなという後悔もあった。

 

いろいろな感情が混ざり、逆に無意識だったのかもしれない。

 

そう、すべての色を混ぜると白になるときのような、、、。

 

この負けが、後に私にとって非常に重要な出来事になろうとはその当時は思ってもいなかった。

 

しかし、今思えば、甘いとかいう思いよりは、ただひたすらもったいないなとか、悔しいとかそういった類の感情に向かうのだ。

 

 

何があってそうなったかは次回以降話そうと思う。

 

競技かるた(4)へ続く

2018年の漢字一文字の予想が外れたので懺悔の会。

はい、みなさん、こんばんは。

 

初めに一言言わせてください。

 

前回の記事であれだけいきって今年の漢字一文字は「祭」だとかほざいたくせに、盛大に予想を外してしまい

本当にすいませんしたっーーーーーー!!!!!!!!

 

え?銀魂のパクリじゃないか?って

 

ということで今回は懺悔の会です。

 

前回の漢字一文字を予想した記事は以下だ。もし読んでいない人がいたら目を通していただけるとありがたい。

 

caru-kira62811.hatenablog.com

 

私は前回何をあれだけいきって自信満々に今年の漢字は「祭」だとか言っていたのだろう。恥ずかしい限りである。

 

今年の漢字は「災」が選ばれた。

 

選ばれたからいえることだが、なぜ予想時にこの漢字が思いつかなかったのだろうと。

北海道で大地震があったのにも関わらずだ。北海道に住んでいるものとして羞恥の念を抱かざるを得ない。

北海道の大地震をはじめ、今年は様々な自然災害が起こったことが、この漢字になった主な選考理由なのだろう。

 

正直、なるほど、最もな理由だ、という言葉しかでてこない。

 

ここまで盛大に予想を外して友達にはこんなことを言われた。

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はい。”さい’’違いですね。

同音異義語です。

 

ほんと、言い返す言葉もなかったです。

それくらいダサいですはっきりいって。

 

ここまで読んでくれた読者の方からはこんな声が聞こえてきそう。

 

この記事自体がすべっとんぞ!!

 

はい、ぐうの音も出ません。

 

すべるところまでを含めて今回の懺悔です。

どうか読者のみなさん、嘲笑していただいて構いません。

 

しかーーーーーし!!!

2019年の漢字一文字は当てるから見とけよ!!

冷静かつ論理的分析の元、総合的に判断し完璧な予想をしてみせる。

 

こいつ、なにたかが、予想外しただけで無駄にはしゃいで、来年はあててみせるとかいって謎に熱いのだろうか、と思っている方が9割だろう。

 

だが、私は至って真剣だ。

これも思考だ。

ボーっと生きてる自分への試練なのだ。

少しでも考える機会を作りたいがためなのだ。

 

caru-kira62811.hatenablog.com

 

気になった方はぜひこちらも読んでいただけると非常にありがたい。

 

え?過去記事貼りすぎじゃないか?って?そこまでしてこのブログ広げたいのか?って?

そんな声が各方面から聞こえてくる。

 

答えはイエスだ。

せっかく書くならたくさんの人に読んでもらいたいというのが、初心者ブロガーの心理なのだ。

 

読んでくれたらめちゃくちゃ嬉しい

 

みんな頼むぜ!!

 

ここまで支離滅裂な文章を読んでくれてありがとうまたな!

 

 

流行語大賞トップ10入りを果たした「ボーっと生きてんじゃねーよ!」は一体何者なのか。

先日、流行語大賞が発表された。

年間大賞に選ばれたのは「そだねー」であった。

この言葉を使ったカーリング日本代表が銅メダルを獲得したのがちょうど私の大学の二次試験の終わった夜だったので非常に記憶に鮮明である。

しかし、今回紹介したいのは、「そだねー」ではない。

 

「ボーっと生きてんじゃねーよ!」である。

 

この言葉を知らない人も多いのではないだろうか。

私が知ったのは、後期の大学のとある授業で教授が事あるごとに口にしていたことがきっかけであった。

その際、この言葉を発している人、正確にはキャラクターについてもおっしゃっていたため、私は中々面白いな~ぐらいにしか思っていなかった。

それがまさか流行語大賞のトップ10に入るだなんて思ってもいなかった。

流行語大賞の発表でこの言葉を見つけたとき思わず、「あっ!!」という声が漏れてしまった。

 

「ボーっと生きてんじゃねーよ!」

とはいったい何者なのかこれから説明する。

 

これはNHKの番組「チコちゃんに叱られる!」という番組から生まれた。この番組のコンセプトは5歳のチコちゃんというキャラクターが、素朴な疑問を大人にぶつけ、ごまかし続けてきた大人の怠慢に、浅い回答でお茶を濁そうとする大人に喝を入れるというものになっている。そこでそんな大人に対して発せられる言葉が、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」なのである。

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 非常にインパクトの強い言葉である。

今を生きる私たちを端的に痛快に叱っていると感じる。

我々はボーっと生きていると言わざるを得ない。

つまり、日頃、頭を働かせて過ごしていることが少ないのである。

appleのおかげでスマートフォンは私たちの身近なものになり、手に入れたい情報は瞬く間に手に入れることができる。そのプロセスに思考は一切介入していないといっていいだろう。googleで調べたら一瞬だ。「OK Google」や「Siri」に知りたいことを聞けば一瞬で答えてくれてしまう。便利な世の中になったもんだ。もちろん、私もその便利さを享受している一人である。

 

チコちゃんはきっとこんな便利な時代だからこそ、我々に危険を警鐘してくれているのだと思う。考えなくても調べれば解決してしまう今だからこそ、もう一度、自分の頭で思考することの大切さを再認識しろと言ってくれているのだと思う。

調べてすぐに答えが出たらそれはもう楽である。なにより、無駄な時間を使わなくて済む。

だが、ある日突然、イエスかノーでは答えられないとてつもない難題が降りかかってくるかもしれない。そのとき頼れるのは己自身のみである。そして、カギになるのはそれまでどれぐらい物事を考えてきたかに依る。その経験が多ければ多いほど、困難を打開する引き出しも多いはずだ。

私は決して、スマートフォンなど現代の文明の利器を使うなと言いたいわけではない。というより、そんなことは今においてほぼ不可能と言っていいだろう。

だからこそ、気になったことがあればふと立ち止まって、ほんの少しでもいいから思考に耽ることが重要なのではないかと思う。

 

最後に、ここまで読んでくれた方々、そして誰よりも自分自身に対して言わせてくれ。

 

 

「ボーっと生きてんじゃねーよ!」

 

 

悩める大学生向け、「エッセンシャル思考」のススメ

私は8か月の大学生活で悟りつつあることがある。

それは聞いていたよりも全然自由な時間がないということだ!!!!

もちろん長期休暇を除いての話ではあるが。

 

普段授業がある期間では、授業の予習復習、テスト勉強、部活、サークル、バイトに追われて中々自由な時間が少ない、大学しんどいな、という悩みを持つ大学生は多いのでないだろうか。

そこで私がおすすめしたいのが”エッセンシャル思考”である。

そう、私は下記の本を読んで触発されたのである。

 

エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする

エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする

 

 

私自身先に述べたような悩みを抱えていた

 

しかし!!!!

 

この本を読んでそんな悩みはあっという間に解決されたのだ

 

簡単にこの本を紹介する。

本当に必要なことを極限まで絞り、それに対してエネルギーを一点集中させて取り組めば効果は絶大ということが書かれている。

 

あらゆる物事に対し、常にそれが本当に自分に必要か=エッセンシャルか、ということを自問自答する姿勢が勧められている。

 

これを繰り返すことによって本当に必要なことが分かってくるというのだ。

 

極端に言えば、活動日数が多く時間を圧迫されて自由時間がなくなる部活やサークルは、それが悩みの種になっているのであれば、やめてしまえばいいし、人間関係が煩わしかったり、やりたくないのにやっているというバイトなんかもやめてしまえばいい。

勉強ばかりで一日が終わるというのならば、本当にやらなければならない課題は何かを見極めてやればいいし、単位ギリギリを狙って戦略的に勉強すればいい。

(留年するほどサボってしまってもいいと言っているわけではない)

 

最高に極端なことを言ってしまえば、本当にやりたいことが見つかって、それが大学の勉強と乖離しているのであれば、大学なんざさっさとやめて、やりたいことに専心すべきである。

 

本当に必要なことを整理していき取捨選択していけば、案外やらなければいけないことは少ないことに気づくはずである。私自身がそうだった。

あれ?最低限これだけやっとけばどうにかなる、と分かった途端、肩の荷が下り、その最も優先度の高いことに全エネルギーを注ぐことができる。その結果、予定よりもそれが早く終わり、浮いた時間で次に優先のことを…というように好循環が生じる。

 

とにかくこのエッセンシャル思考によって、一気に気が楽になる。

また自分を見つめなおす良い機会にもなる。

 

私が最も言いたいことは、悩む前にまず

    思考を整理!!!!

その次に

本当に大事なことを一つだけ抽出し、それに全力を尽くす!!!

 

これをひたすら繰り返していけばいい!!!!!

 

以上、おしまい!

 

今年も残り1か月なので、2018年の漢字一文字を全力で当てにいってみる

今年も残り1か月ですね!!!!!!!
今年もいろいろなことがありましたね!!!!!!
モー娘。OGの飲酒ひき逃げ事件TOKIOの誰かさんの淫行事件、など色々ありましたね()
 
とまあ冗談はさておき、まず、ここ4年間の”今年の漢字一文字”を分析してみる。
  • 2017年・・・北
  • 2016年・・・金
  • 2015年・・・安
  • 2014年・・・税

が過去4年の漢字一文字である。

この4つは選考理由で大きく二つに分けることができる。一つはその年に起こった最も大きな出来事だと思われるものから一文字を取ったもの、もう一つはその年に起こった複数の大きな出来事の共通点から一文字を取ったものである。北、税が前者にあたり、金、安、が後者にあたる。

 

北はやはり朝鮮のミサイル発射が最も2017年に日本に影響を与えた出来事だったことから選ばれたのだろう。

税はもちろん消費である。

 

金は2016年、リオデジャネイロオリンピックでの日本人のメダルラッシュ、様々な政治とカネの問題、また髪のトランプさんがアメリカ大統領就任、全身色衣装のピコ太郎さんのPPAPが流行ったのもこの年だ

 
安は倍内閣による保関連法案の成立、イスラム国によ日本人拘束事件、パリ同時多発テロ事件に対する不、とにかく明るい村さんの”心してください、穿いてますよ”、が流行ったのも2015年だ。
 
非常にわかりやすい基準で選ばれていると個人的に思う。
 
そこで以上の簡単な分析から、今年の漢字一文字を予想する。
 
本気で当てに行くから、当たったらほめてほしい!!!!!
 
こっから必見だぞ!!!
 
私の完璧な(至ってありきたりな)予想をとくとご覧あれ!!!
 
結論から言わせてもらう!!
 
ずばり私の予想は”祭”である!!!!
 
正直言ってかなり自信がある。
はっきりいってこれしかないと言い切ってもいいくらいである
 
この一文字を見たらきっと、あ~、となるに違いない。
主な選考理由はこの2つだ!!
 
1つ目!!!
スポーツの典である平昌五輪があったことだ!!!!!
大けがからぶっつけ本番で金メダルを獲得した羽生結弦選手が与えてくれた感動はまだまだ記憶に鮮明に残っています!!!!!
 
2つ目!!!
ワールドカップがあったことだ!!!!
サッカーの典!!日本も現在世界ランク1位のベルギーに肉薄するなど、かなり盛り上がりましたね!!!
 
正直これだけで十分ではなかろうか。
ここからは私の希望的意見なのだが、今年の一文字は個人的にその年に起こったポジティブな出来事から取ってほしいのだ!
最近は北朝鮮のミサイル発射から取った”北”のように”あまり喜ばしくない出来事から選ばれているイメージがある。
だから、こういった、国民の多くを熱中させてくれたり感動させてくれた出来事から選んでほしいのだ!
 
選考委員の方々お願いします!!
 
もし、この予想が外れたら、懺悔の記事を書くことをここに誓う
 
今年の漢字一文字は”祭”になる、絶対!!!
 
以上!!!!
 
 
 
 
 

競技かるた(2)~2017年2月19日第26回全国競技かるた奈良大会~

競技かるた(1)で話した京都府内の高校生大会で優勝した話の続きである。

(1)を読んでいない人はぜひこちらにも目を通していただけたら幸いである。

 

caru-kira62811.hatenablog.com

 

今回はその続きである。

タイトルにあるように今回は高校2年の冬に出場した全日本かるた協会公式の奈良大会での私の戦いぶりについて話していこうと思う。

 

前回話した通り、私は府内の大会で優勝し、こんなことを言うとはっきり言って傲慢であるのだが、「自分強くなってきてるんじゃね!」という風に少し思っていた。

実際、前の大会で優勝したあたりから、以前は余裕で負けていた部内の同級生や後輩に肉薄したり、時には勝つことさえあった。心のどこかで、次の大会で「昇段できるんじゃね?」という密かな自信を持っていた記憶がある。

 

ここで昇段の制度について軽く話しておこうと思う。

前回も言ったようにかるたには強い順にA,B,C,D級とあり、D級からC級、C級からB級に昇段するためには全日本かるた協会が定めた公式の大会で、自分の出場する40数名くらいのブロック内においてベスト4以上の成績を残すことが必要である。(かるたではベスト4の2人は3位入賞、ベスト8の4人が4位入賞という扱いになる。)

B級からA級に昇段するためには上記とは異なるためここでは割愛する。もし興味のある人がいたらコメント欄等で聞いてほしい。その時は丁寧に説明しようと思う。

 

そして、そういった自信をもって、いざ奈良大会D級の部に臨んだ。

大会当日の心境について話しておきたい。先ほどまで散々自信がどうとか言っていたが、本番ではそういうのは一切心に抱かないようにした。過信になったらいけないからである。

では何を考えていたのかというと、何も考えていなかったのだ。

ここで拍子抜けした読者もいるかもしれない。しかし、これは紛れもない事実なのである。それまでに出場した大会の経験から、変に気負っても空回りするだけだということがわかったのである。だからとにかく無心で目の前の試合を淡々とこなすイメージだった。もしかしたら、スポーツを今までやってきた人なら同じように考えたことがある人がいるのではないだろうか。

 

いよいよ1回戦が始まった。………

 

 

 

だがはっきりいって試合内容を全然覚えていない!!!!

何しろ2年ほども前のことだからだ。!!!(笑)

読者からの辛辣なツッコミが聞こえてくる。。(笑)

2年前の自分になぜブログを書かなかったのだと言ってやりたいもんだ(笑)

 

とりあえず1回戦から3回戦までは、全て余裕ではなかったがなんとか勝った。

 

そしていよいよ迎えたベスト4を懸けた試合、つまり昇段戦である。

安心してくれさすがにこの試合のことは覚えている。

対戦相手はそれまでの試合で全部余裕で勝ってきた強敵だった。

試合序盤から一進一退の攻防が続く。

競技かるたでは百人一首の100枚のうち50枚の札を使い、各人が25枚を自分の陣地に並べる。そして先に自分の陣地にある札を0にしたほうが勝ちである。

 

お互い一歩も譲らず、中々差がつかない。

どちらかがリードを広げようとしても、もう一方がくらいついていく白熱した展開だった。

試合はそのまま進んでいき…………

 

 

ついに運命戦となった!!!!!!!!

ちはやふるの実写映画で何回もそいう場面があったので見た人ならわかるだろう。

そう、相手も自分もともに残りの札が1枚という状況である!!!

まさしく、次に札を取った方が勝ちになるという究極の状況である。

 

私はただただひたすら、自分の手元にある札が読まれてくれーーーーーと祈っていた。

次の札が読まれようとする、、、、、、、、、、、

運命の瞬間、、、、、、、、、、、

結果は、、、、、、

自分の手元にある札が読まれた!!!!!!!!!!!!

昇段が決まった瞬間なんともいえない感情になった。

もうほんのほんのあと少しのところで昇段を逃した相手の悲しそうな、それでも私におめでとうと言ってくれているような複雑な顔を私は忘れない。

ああいった極限状態になることはこの先中々ないだろう。

 

次の準決勝では負けてしまい3位になった。表彰式が終わると同時にだんだんと実感が湧いてくるのかなあと思っていたがそうでもなかった。

このことを部活のライングループで報告した。すると同級生と後輩からの鳴りやまないおめでとうメッセージ、。とても感動したしとてもうれしかった。あのときのことは今後もきっと忘れないだろう。努力がようやく報われたそんな瞬間だった。

 

競技かるた(3)へ続く

 

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競技かるた(1)~かるたを始めたきっかけ~

 

競技かるたと言われると昔ならぽかんとする人が多かったのかと思うが、今日漫画ちはやふるの影響や、その実写映画の影響で一気に知名度が上がりました。なんていったって広瀬すずさんが主演を務めたことで宣伝効果はそりゃあもう絶大なものだった。広瀬すずかわいいですよね。笑😮

 

 

私は高校から競技かるたを始めた。

 

きっかけは小学校の百人一首大会のようなものでずっと1位を取れて、なんとなく百人一首面白いなというのが始まりだった。

 

私は高校受験の際、巷で言われるような公立の進学校を複数、志望校として候補に上げていた。

その中で決め手となったのが競技かるた部。

私は中学のときにアニメちはやふるを見て、そこで本格的な競技かるたの存在を知った。そして、なんとなく競技かるた面白そうだなという感情を抱いていたのであった。

 

第一志望校に受かり私は競技かるたを始めた。

 

正直言いますと、百人一首は全て入学前に覚えていたこともあり、同時期に始めた同級生よりは早く上達できるかな、と思っていた。

 

しかしながらその考えが甘かった。

 周りがあっとういうまに強くなって置いて行かれた。

部活に行く度連戦連敗、ひと月に勝った数は片手で数えられるほどだったと思う。

けれども、部活に行くのが嫌だと思ったことはほとんどなかった。

 

私は中学途中まで野球をしていたが、そのときは部活に行くのが嫌だと思うことが何度もあった。

そういった気持ちがかるたのときは全然ならなかった。

このとき、私は本当に熱中できることを見つけた気がした。

 

部活で負けが込んでいてもちろん悔しかったし、なんとかしたいと思っていた。

とりあえず、練習には絶対休まないでいようと決めた。

同級生や後輩に聞いて誰が一番練習していたかと聞いたら私の名前が返ってくる自信はある。部活の出席率は間違いなくナンバーワンだった。

一回の部活では一試合取って終わるのが通常の流れだったのだが、私はいつからか忘れたが、試合前に札をきれいにイメージ通り払う練習、通称払い練を行うようになった。周りの友達もやるときはやっていたが、毎回やっていたのは私だけだったはずだ。

普通にただ試合しても勝てないならせめて努力量ぐらいは一番になってやろう、そんな勢いだったような記憶がある。

 

こういった努力が報われたのが、高2の10月の京都府内の高校生で行われる大会だった。

競技かるたは強い順にA,B,C,D級、(ときにE,Fなども存在する)となっており、私はその当時D級だった。この大会は同じ級同士で競い合うものであった。

 

これまでの努力の成果か、私はこの大会で優勝した。しかも、割とどの試合も競技かるたにおいては大差で勝つことができた。

至極の瞬間だった。なにしろ、生まれて初めて一番という称号を手に入れることができたからである。

この言い方は確かに大げさかもしれないが、それくらいうれしかったのだ。

 

それ以来、どんどんかるたにはまっていった。自分でもばかだと思うくらい熱中していた。正直いって学業のほうはぼろぼろだったが、そんなことがどうでもよくなるくらいかるたばかりしていた。

そして、C級に昇段することを目指して練習するのであった。。。

 

次回へ続く

 

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いいから岡本太郎さんの「自分の中に毒を持て」を読め

私は最近学生の本分である勉強をせずに読書にはまっている。

本を読んでいると自然と心が落ち着く気がする。

たまに読みながら寝てしまうこともあるのだが。(笑)

 

私が読む本のジャンルはビジネス本や自己啓発本など今後生きていくうえでためになりそうであったり、思考を変えてくれるものが多い。

 

逆に小説はあまり読まない。上記の本以上に読んでいると眠くなる。加えて今まで小中高と全然読書をしてこなかった人間なので、小説系の本はどうしても途中で飽きてしまったり、全然進まず終わりが見えないことから途中で挫折してしまうのだ。

だが読書に慣れてきたら時期に昔に文豪と呼ばれた人たちの作品にも手を出したいと思っている。

現時点でぱっと思いつくのは太宰治の「人間失格」、夏目漱石の「それから」、梶井基次郎の「檸檬」といったところである。

檸檬は数年前に手に入れたのだが、数十ページ読んだだけで難しすぎて挫折して以来手にとっていない。笑)

 

さて、本題に入ろうと思う。

 

いきなりだが、

周りに意見を合わせたり、日々をなんとなく、しょうもない毎日を生きているのではないだろうか?

 

そんな人にぜひおすすめしたい

岡本太郎さんの「自分の中に毒を持て」を。

 

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか (青春文庫)

 

 

そしていいからとにかく第1章を読め。

彼の考え方はとにかく凄い。言葉で表しきれない。この本を読んだとき全身に衝撃が走った。

一言で彼のことを表すなら、世間一般の日本人とは180度違った思考の持ち主である。

彼の辞書に安定志向といった言葉など存在しない。

むしろ危険志向なのである。

とにかく尖った人である。

彼の思考が彼の生身の生きた言葉で連ねられている。

 

私は彼のような生き方とは正反対とまではいかないかもしれないが、少なくとも彼みたいに尖った生き方をしてきてはいない。そえこそどこにでもいるような周りの友達とはしゃいでいる普通の大学生だ。

しかしながら、私は心のどこかで何か人とは違うことをしたいなという漠然とした野望は持っていた。

 

そしてこの本を読んだとき確信したのである。漠然としたものじゃ弱い。今この瞬間を懸けれるものじゃなきゃだめだと。

挑戦という言葉ですら生半可だということを思い知らされた。

命を懸けてやらねば、意味ないと。逆に言えば、命を懸けてもいいと思えるくらいのことを見つけろということである。

 

彼の本を読んで、言葉を変に飾らずストレートにバシッと決めていくスタイルに非常に興奮した。

 

今後、彼の別の著書も読んでみたいと思った。

ゆくゆくは彼の本職である絵のほうについても知りたい。

 

ちなみにこの本の第3章には恋愛について書かれている。

日本人と外国人の対比が痛快な章となっている。良ければそちらもぜひ。

悔しいは原動力になる

最近、なんとなく無気力だった。大学生活は半年以上経ち慣れてきたものだ。刺激のない日々が続く。

ふと、あれ?自分は何をしているのだ、と自問自答する日々。

 

そんな中、先日大学で線形代数のテストがあった。私は希望学部がきまっており、前期の成績を考慮すると、そこまで必死に勉強する必要がなかった。

北海道大学の制度については過去の記事を参照していただきたい。

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勉強をあまりせずにテストを受けた。当然手応えは微妙なものであった。

もう一度言う、そもそもそこまで良い成績を取る必要のない科目だ。単位を取れればいいのである。単位をとれるくらいには解けたから何も問題はない。

 

それなのに何かおかしい。びっくりするくらい悔しいという感情が湧き上がってきたのだ。いったいなぜなのか。

 

もしかすると人間は本来そういう風にできているのではないか。つまり、悔しいの積み重ねがその先の行動の原動力となっているのではないかと。

不思議だ。めちゃくちゃ悔しかった。必要最低限は満たしたにも関わらずだ。

 

逆にいえば、私の中にもまだ悔しいという感情があることにほっとした。刺激のない日々から解放された、そんなある種の安心さえ感じられた。

 

私はまだまだ腐ってない。それがわかっただけであのテストは収穫だった。

勉強だけじゃなく、あらゆることに悔しいを感じたい。

そのためにはやはり競える仲間が必要だ。勉強にしてもスポーツにしても何にしても。

他人との比較が発生しない己自身のことに悔しいと感じられる人間は相当凄いと思う。それこそトップアスリートなどだろう。

あいにく、私はそんなできた人間じゃない。だからこそ、周りを利用する。一見理不尽そうな環境でさえも、逆転の発想で利用していく。そうやって生きていきたい。

 

悔しいという感情はこんなにも人を変える。だが悔しいは一過性のものである。時間が経てば次第に薄れていく。しまいにはなくなってしまう。だから、悔しいと感じた瞬間になにかしらの行動に移すべきだと思った。

 

一回一回の悔しいを大事にすべきだ。これを利用しない手はない。

そういうことに敏感になれば、より人生は豊かになるだろうと期待したい。

 

 

 

北海道大学の理不尽について考えてみた

 理不尽と言われるとひとえにいろいろなことが思い浮かぶ。

家庭、学校、職場といった日常生活での理不尽や台風、大地震といった自然災害に対する理不尽などなど。

世の中はなぜこんなにも理不尽なのだろうかと考えたことが誰しもあるはずだ。

 

私は現在大学1年であるのだが日々理不尽というもの体感しながら生きている。

 

私の通っている大学の理不尽について話していきたいと思う。

 

私は北海道大学に通っている。この北海道大学には少し変わった教育制度がある。

それは総合理系・文系制度である。

簡単に説明すると学部、学科を決めずに総合入試という方式で入学した学生は1年の間は大学が定めた総合教育を受け、2年進学時に希望学部を決定するというものである。

 

この制度自体は高校時代に希望の学部学科が決められなかった学生にあと1年考える猶予を与えるもので非常に独自性のある制度だと思う。*1

まさに私がそのような学生であり現在希望の学部学科を熟考中なのである。

ここまではなんら問題がないように見える。

しかしその実情はちょっと違う。

 

2年進学時に希望学部学科を選択するといったがその選考方法に少々厄介がつきまとう。基本的に1年次の成績が良い者から希望が通る仕組みとなっている。当然学部学科に定員というものが存在するので、希望通りにいかない学生も出てくる。それならば頑張って良い成績を取るために努力すればいいだけの話じゃないかで済むのだが、この成績を取る過程で今回の主題である理不尽が発生するのである。

大学生を経験したことがある人なら一度は聞いたことがあるだろう"楽単"という言葉。そう授業を受けた先生によって成績が取りやすかったり取りにくかったりするのだ。もちろん基本的には自分で選んで履修するのが大学の授業であるため成績の取りやすい先生の授業を取ればいい。しかしながら必修科目が1年の間は多く、学生番号やクラスによってあらかじめ先生が決められている。こちらに選択権はないのである。

 

はっきり言ってこんなことたまったもんじゃない、理不尽だ

と言いたくなる。完全公正な制度とは言えないじゃないかとつい思ってしまう。

 

私も普通の大学生なのでこのような思考に陥りがちである。

 

だが私が本当に言いたいことはここからである。

周りの友達に聞く限りではどのクラスにもある一定数優秀な成績を収めた学生がいるということである。このことが表すひとつの事実は、たとえ成績の取りにくい先生に当たったとしてもその理不尽を乗り越えている人がいるということである。このような理不尽などもろともせず自分の理想に向かって努力し続けられる人がいるのだ。

はっきりいって理不尽を言い訳にするのはダサい。

以前の私はまさにそうだった。

だが徐々に考え方が変わっていった。成績の取りやすさが先生によって変わることを入学以前から知っていたわけではない。しかしながら、この大学、制度を選んで入学したのは誰でもなく私自身なのであるということだ。

だから理不尽を言い訳にしないと誓った。周りだって同じ条件なのである。

そして最近は自分自身にこう言い聞かせている。

こういう理不尽は乗り越えねばならない。この先社会では桁の違う理不尽が待っているのだ。そして今はその予行演習なのだと。

*1:東京大学も似たような制度を採用している